Vol.346 2022.1.12

音楽・美術の旅 メールニュース
 
Column

まだまだ遠いかな憩いの家 その1

ミラノの中心部、そう大聖堂(ドゥオーモ)から歩いて40分くらいだろうか。およそ3キロ、西の方面にボナロッティ広場があり、その一角に“憩いの家”はある。そう、かのジュゼッペ・ヴェルディの最後の傑作といわれている音楽家のための安らぎの家である。

最後の傑作といわれるだけあって、その歴史はヴェルディの晩年にはじまることになるから意外と浅く、イタリアに統一国家の生まれるそのあと、前世紀を迎える少しばかり前のことである。

しかしその誕生については、偶然の産物ともいえるようだ。ことの発端はヴェルディ自身があまり意図せずに土地を買ったことにはじまる。中心部よりさほど離れていないとはいうものの、当時ミラノを取り囲んでいたスペイン壁の外側は荒涼とした手つかずの土地がほとんどだった。

どういう理由であまり人々が見向きもしないような土地に手を出したのか今となっては皆目見当もつかない。ただ、天才だけに何らかの直感が働いたのかもしれない。

「どのようにすべきかあれこれ考えあぐねていてふいに妙案が浮かんだ。家をつくろう。年老いた音楽家が安心して余生をおくることのできる安楽の場を」天才作曲家のもうひとつの天分がそこにある。

本気でこのようなことを考えていたとはもちろん考え難いが、「作曲家としての名声など、わたしがこの世を去り20年ほどが過ぎてしまえばきれいさっぱり忘れ去られてしまうだろう」とそのような言葉さえ残している。

音楽など時とともに消え去るもの。それならばかたちとして残るものを自分の命があるうちにつくっておきたいというのがヴェルディの信条となった。

親交の深かったボイト兄弟(ヴェルディとタッグを組み、作曲家、台本作家として名を残したアッリーゴ、建築家としてこれを設計、建築の総指揮をとったカミッロ)はじめ周りの人たちに協力を仰ぎながらこれまでに例のないプロジェクト“憩いの家”は完成したのである。

1899年のことであった。

わたし自身、この“憩いの家”には幾度となく足を運んでいる。イタリアに渡ってきたのが1991年であるから、その後30年の間には数えきれないほどに。

音楽に携わる者にとってはまさに「楽聖の場」と言えよう。大作曲家の意思が今も尚息づいていることを考えれば当然かもしれない。またヴェルディのあとに続いた音楽家たちも畏敬の念をもちながらここを訪れては献奏している。

多くの客人(ヴェルディの招き)の過ごす場所にはいつ時も音楽が溢れていた。

それが突然のコロナの発症、感染拡大によりそこで暮らすご老人に会うことも、ともに音楽を聴き楽しむこともできなくなってしまった。ほぼ、毎月門をくぐっていた“憩いの家”に2020年になってからは足を踏み入れることができていない。

堂満尚樹(音楽ライター)
Instagram ぜひご覧ください!

Films&Music 名作でめぐる音楽の旅
~ お家じかんに楽しむ音楽の旅 ~

海外旅行再開までのあいだ名作で音楽の旅を楽しみませんか?
郵船トラベルにはこんなページもあります♪


『名作でめぐる音楽の旅』


ラインナップ

音楽・美術の旅 SNSご紹介

最新の情報はSNSでも随時ご紹介! 
フォロー、お友達追加をどうぞよろしくお願いいたします!
※LINEはスマートフォンからアクセスしてください(パソコンからはご覧いただけません)
                       

メールマガジンの内容についてのお問合せ:
郵船トラベル音楽ツアーデスク
東京都千代田区神田神保町2-2 ミレーネ神保町ビル7階
Tel. 03-6774-7940
E-mail:


このメールは、郵船トラベル メルマガ(音楽・美術の旅)をご購読の方にお送りしています。
このメールは、送信専用メールアドレスから配信されています。ご返信いただいても回答致しかねますのでご了承ください。

発行:郵船トラベル株式会社 メールマガジン事務局
〒101-8422 東京都千代田区神田神保町ミレーネ神保町ビル
E-mail:

メールアドレスの変更、各メールマガジン購読の変更・追加は
マイページ にログインし、「会員情報の確認・変更」から行ってください。